記念貨幣発行に対する反響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 06:48 UTC 版)
「東京オリンピック記念貨幣」の記事における「記念貨幣発行に対する反響」の解説
記念貨幣の引換えは大会直前から始まり、100円銀貨は1964年(昭和39年)9月21日、1000円銀貨は同年10月2日から金融機関の窓口で両替という形式で交付された。1000円銀貨については引換え当日から長蛇の列ができ、間もなく品切れとなり、直ちにプレミアムつきで貨幣商で販売されるという反響振りであった。100円銀貨については発行枚数が多かったため、一部は稲穂通常100円銀貨とともに流通した。 この記念貨幣発行の成功により、発行による120億円に上る収入の一部を大会運営費に充当することができた。その後、この成功をきっかけに1970年(昭和45年)の日本万国博覧会の記念貨幣を始めとして、記念貨幣の発行が相次ぐようになり、諸外国と比較して大量の発行枚数、金融機関における両替による発行という形式がしばらく定着することになる。当初はこのような大量発行であっても、多くの国民が記念貨幣に関心を持ちプレミアムさえつき、発行量を充分受け入れられる状況であった。 また日本初の記念貨幣発行は貨幣収集ブームのきっかけとなり、収集貨幣の相場は上昇し投機的となり、1973年(昭和48年)初頭には空前の高値を付けるに至り、1000円銀貨については2万円を超える高値で取引されることもあった。しかし同年4月、物品税法改正により、銀品位92.5%以上、1万7000円以上の商品が課税対象となり1000円銀貨も対象となったため取引相場が急落した。それでも1980年(昭和55年)ごろまでは1万円前後の取引価格を維持していたが、次第に貨幣収集人口の減少に伴い記念貨幣に対する社会の関心も薄れ、下落の一途をたどりプレミアムは小さくなっている。それでも現在でも貨幣収集市場での取引価格は額面の1000円よりも確実に高い。
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