親族体系
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 07:46 UTC 版)
縄文時代では、成人男女数名と子供からなる5人から10人の集団が一つの竪穴式住居で居住していた。この時代は幼児の死亡率が高く、成人(15歳)できた人々でも平均寿命は31歳程度であったと考えられている。また成人女性の死亡ピークは20台前半であることから出産リスクも極めて高かったと考えられる。こうした中で集団を維持するためには、女性一人が平均して8.4回出産をしていたとされ、女性の出産や授乳などの育児のもつ意味が極めて大きかったと考えられる。土偶が女性像であることも多産や出産の無事への切実な祈りであったとされる。 日本の原始社会において母系制の存否は大きなテーマである。世界的には農耕普及に関連し母系制社会が出現したとされる。世界の250の民族を研究したマードックは「妻方居住婚の民族では母系制が多い」とし、高群逸枝は日本の古代に妻問婚や妻方居住婚があったことから母系制が存在していたとした。これに対し都出比呂志は弥生時代では夫方居住婚ないし選択居住婚であったとした。また春成秀爾は縄文時代前半は妻方居住婚であったが後半期から弥生時代にかけて選択居住婚から夫方居住婚に移行したうえで、妻方居住婚では母系制、父方居住婚では父系制である蓋然性が高いが、選択居住婚では必ずしも双系制ではないとした。しかし現段階では、原始社会での親族体系は確定的でなく、いずれの可能性も否定できない。
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