規格向上工事まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/03 08:59 UTC 版)
「阪急380形電車」の記事における「規格向上工事まで」の解説
320形に続く宝塚線向けの新車となった本形式は、急行から普通まで宝塚線及び箕面線での運用を開始した。320形に比べ主電動機1基あたりの1時間定格出力は大幅に向上したものの、前述のように主電動機数が半減したため、車体が軽量化されたとはいえ320形に比べて1両当たりの出力は低くなってしまった。この差が如実に現れたのは、現在の大阪駅ガード下及び阪急百貨店内にあった梅田駅を発車して、東海道本線の跨線橋を過ぎた時点で急勾配で高架に駆け上がるときで、軽快に駆け上がる320形とは異なり、本形式や500形はかなり苦しい走りぶりで高架線へ駆け上がっていった。 1939年には320形同様前照灯にフードを取り付けるなどの灯火管制工事を実施している。1943年には385が500形最終増備車のうち連結相手のなかった530と2両編成を組んだが、この際、385は530と連結する大阪側の運転台機器を取り外していた。 本形式も320形同様太平洋戦争末期の空襲にも大きな被害を受けることなく終戦を迎え、戦後まもなく灯火管制用のフードなどが撤去された。戦後の一時期380 - 383の4両が連合軍専用車に指定され、白帯を巻かれた。また、1950年には385が神戸線の800系801-851 - 803-853の3編成とともにアメリカ博覧会のPR塗装に変更され、黄色とマルーンの2色塗装となった。1952年の規格向上工事の際にドア部分にステップを取り付けたことから、車体幅が約2.69mに拡大されている。この前後の運用は、本形式のみで2 - 4両編成を組んだほか、同じ性能を持つ500形や550形と併結して3 - 4両編成を組んだ。
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