西念寺所蔵 「服部半蔵の槍」とは? わかりやすく解説

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西念寺所蔵 「服部半蔵の槍」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 06:11 UTC 版)

服部半蔵」の記事における「西念寺所蔵 「服部半蔵の槍」」の解説

西念寺 (新宿区)には新宿区登録有形文化財である「服部半蔵」が奉納されている。現存部分全長は258cm、重さ7.5kgである。寺伝によれば、この三方ヶ原戦功により正成が浜松城家康より拝領したものとされる。正成の兄である服部保俊(服部市平保俊)の子孫にあたる服部市郎右衛門保有し西念寺奉納した附属する文書記録によれば、このは正就が姉川一番槍入れた際に使用していたものとされ、銘は「鬼切丸」であり、別名を「髭切丸」「膝切丸」「蜘蛛切丸」と記される詳細定かではない明暦3年1657年)の地震により穂先一尺四寸一分(42.7cm)が折れたが、元の穂の長さは四尺(121cm)であり、中心抜けないまま鞘付きで箱に収められた状態であったまた、このについては桑名市所蔵史料にも「得道大身鑓は武州四谷西念寺に相納む 穂先折れたるを同姓市平家筋所伝の由」と記されており、享保2年西念寺由来書写した服部正武は桑名藩仕えた正成の子孫(正就と松尾の子家系、小服部家)である。作者は現在も判明していないが、その作り質実剛健大身槍である。損傷部位穂先折れ加え、柄は半面長さ半分(約150cm)が焼失している。太平洋戦争中昭和20年5月29日空襲火災からを守るため住職芝生避難させたが、あまりの火勢地面接していなかった片面半分と柄の一部焼失してしまったという。また、穂先折れた原因については「地震起きた時、家康から拝領したを守るため正成が清水谷放り投げたところ折れてしまった」との逸話と共に寺伝では「安政の大地震穂先30cm程が折れた」とされている。 なお、附属する文書記録ではこのを「姉川一番槍使用した」とするが、「貞享書上松平越中守家臣服部半蔵正秀記」等によれば姉川合戦使用したのは正成16歳宇土城戦功により拝領した穂先七寸八分(29.6cm))であるとされる西念寺所蔵損傷前の穂先は四尺(121cm)であったと伝わるため、穂先長さ差異生じる。姉川一番槍使用され宇土城戦功拝領したであったならば、西念寺所蔵寺伝による三方ヶ原戦功浜松城二の丸にて家康より拝領したという事になる。またこの時拝領したは「無銘作者不明平安城長吉」の二本であり、このうち平安城長吉(銘不明)は正成の次男である服部正重所有し晩年桑名藩仕官した際、藩主息子である松平定良献上している事から、西念寺はこれと同時に贈られ無銘作者不明であると推察される。

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