西成事件
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本誌1996年3月号に掲載されたみやうち沙矢の「勉強しまっせ」で「大阪の西成区は気の弱い人は近づかない方が無難な所」なる旨を脚注に記載(注をつけたのは作者ではなく当時の副編集長)。同年2月19日、読者と称する女性が「西成区への差別である」と編集部に抗議。同月21日に「西成区人権啓発推進会議」他、四団体の通名の抗議文書が送達。同月23日、講談社関西支社に西成区長名の抗議文書が届く。ここにおいて講談社側が事の重大性を認識。同月29日、担当役員以下6名が謝罪文を持って西成区役所を訪問。謝罪内容は 【一】当該作品は3月号をもって連載中止 【二】当該3月号の回収を全国書店に依頼すること 【三】本誌4月号において著者、編集長連名の謝罪文を掲載すること を提示。しかし団体側はこの回答を「単なる尻尾切り」である事に加え、謝罪や連載中止の告知が「抗議が発端で打ち切りになったと誤解されかねず西成区への予断と偏見を助長する懸念がある」とし確認会の開催を要求。翌3月に21団体連名の抗議文が講談社に届く。第一回抗議集会は西成区役所内で開催され区側の出席人数は約150人。講談社側に鶴見橋、今宮三中、梅南の中学校生徒代表が抗議文を手渡し、講談社側も三中学を訪問して謝罪文を手渡す。5月27日に第二回抗議集会開催を行い、8月号において1ページを使って詳細な経緯の記述を含めた謝罪文を掲載、7月に関西支社における記者会見で、経過報告を謝罪を公表。10月、講談社社長が謝罪文を提出。この謝罪文が西成区広報誌「人権」に掲載。11月に社内研修会を実施を行い事態は収束する。
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