製靴産業の台頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/23 13:25 UTC 版)
「ロマン=シュル=イゼール」の記事における「製靴産業の台頭」の解説
1850年以降、ロマン経済と社会は製靴業の発展で転換が行われた。この工場では1914年時点で5000人の男女が働き、強力な労働組合運動を引き起こす要因となった。19世紀後半、ジョゼフ・フェネストリエは初の靴のブランド・ウニック(UNIC)を発表した。コミューン人口は1万人を超え、城壁は廃止された。埠頭が建設され、鉄道の存在は多くの靴の工房をひきつけることになった。 第一次世界大戦後の1920年代、社会主義者である市長ジュール・ナディは、グルノーブルに向かう道の近くに、社会的目的を持つ庭園都市をつくろうとした。 第二次世界大戦後に再び平和な時代が訪れると、ロマンは製靴業で繁栄した。特に、靴ブランド、シャルル・ジョルダンは世界中に店舗を拡大し、4000人を雇用していた。 人口増加は続き、1945人には2万人だったのが1968年には3万人となった。新住民を住まわせるため、コミューン周囲に広がる農地が郊外に代わり、住宅団地が作られた。 しかし1974年から、経済危機が製靴産業を混乱させた。外国製品との競争は宿命だった。多くの企業が倒産し、25年の間に数百人がレイオフされた。 1990年代、ロマン経済はA49高速道路、TGVのような優れた道路・鉄道に頼ることができた。
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