製造から改造まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/29 07:35 UTC 版)
「フランス国鉄242A1型蒸気機関車」の記事における「製造から改造まで」の解説
エタ鉄道は1932年に中央車両設計所(OCEM)に依頼し、自鉄道独自の新型蒸気機関車を製造することを決定した。 この依頼に応じ、従前ろくな機関車を作れないと酷評されてきたOCEMは自所の名誉挽回をかけてアンドレ・シャプロンの改造した蒸気機関車に匹敵する高い効率性の実現を目標として3気筒機関車を計画・設計した。 この機関車はリールのfr:Fives-Lille社で製造され、完成後1935年のブリュッセル博覧会に出品された。 241.101型と呼ばれたその蒸気機関車は軸配置2D1、動輪径1,950mmで、20.5気圧の高い圧力に耐える新型ボイラーおよびその周辺補機、エタ鉄道のルノー技師が独自に開発したルノー式ポペットバルブ、それにメカニカルストーカー(自動給炭機)を装備し、新造後の改造で6本の吐出筒(ブラストノズル)を持つキルシャップ排煙装置を備えるなど、当時最新流行の技術を多数盛り込んでいた。 しかし実際に完成して試験してみると、熱放射のロスやルノー式ポペットバルブ周りの蒸気回路設計の悪さから十分な蒸気を気筒に送り込むことができなかったため期待された膨張率には至らず、それどころか乗り心地はひどいうえに脱線を起こすという、名誉挽回どころかOCEMの手がけた機関車の中でも最悪の評価となってしまった。 悩んだ末にエタ鉄道はこの機関車をどこかに隠し、所在の問い合わせに無視するという態度をとった。結局シリンダーが壊れたためSNCFの機関車研究部門にアドバイスを求めた。そのなかにアンドレ・シャプロンがいた。シャプロンは白象という愛称を持ったこの機関車を改造することを提案するが、上層部はなかなか同意しなかった。結局シャプロンの意見が通ったのはフランスがナチスドイツの占領下に置かれた1942年になってからのことであった。
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