補給所設置、最初のシーズン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/08 03:31 UTC 版)
「イニーアス・マッキントッシュ」の記事における「補給所設置、最初のシーズン」の解説
オーロラは1914年12月24日にやっとタスマニア州のホバートを出港した。1915年1月16日、部隊はマクマード入江で上陸し、ロバート・スコット大佐が以前に本部にしたエバンス岬にマッキントッシュがベースキャンプを設置した。シャクルトンがウェッデル海から既に行軍を始めた可能性があると考え、補給物資を置く任務を直ぐにも始めるべきと判断した。隊員のアーネスト・ジョイスは1901年から1904年に行われたスコットのディスカバリー遠征に参加し、またニムロド遠征に加わったことで、南極での経験が最も豊富な者だった。そのジョイスが環境への順応と訓練のために少し時間が必要だと言って抵抗したが、否定された。ジョイスはその拒絶にショックを受けた。橇のことに関してはマッキントッシュが自分に譲ってくると予測しており、「ここにシャクルトンが居たならば、私は彼に論点を見せることができたのだが」と日記に記していた。補給所設置の旅は一連の災難と共に始まることになった。まずブリザードのために出発が遅れ、数マイル進んだだけでモーター付き橇が壊れた。マッキントッシュとそのグループは、エバンス岬とハット・ポイントの間にある氷の海で行き先を見失ってしまった。棚氷の状態は、訓練も経験も無い隊員には厳しかった。棚氷に持って入った物資の多くは、負荷を減らすために途中で捨てられ、補給所まで届けられなかった。ジョイスが強く反対したにも拘わらず、マッキントッシュが固執して連れてきた犬たちは南緯80度までは行ったが、帰り道で全て死んだ。凍傷にかかり疲れ切った隊員は3月24日にハット・ポイントにあったディスカバリー遠征隊の小屋に到着したが、安全ではない海氷によって船からもエバンス岬の基地からも遮断されたまま、3か月近くもそこで何もせずに待つしかなくなった。このような経験をした後、マッキントッシュの指導力に対する信頼が無くなり、言い争いが増えた。
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