被害地域の現在
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/19 15:53 UTC 版)
USIAは貯槽を再建しなかった。貯槽とノースエンド・ペイヴィング・カンパニー (英: North End Paving Company) がかつてあった土地はボストン高架鉄道 (マサチューセッツ湾交通局の前身) の作業場となった。現在では市が所有する娯楽用の総合施設となった。正式名称は「ランゴン・パーク」 (英: Langone Park) であり、リトルリーグの野球場、運動場、ボッチ(英語版)用のコートが特色である。そのすぐ東にはさらに規模の大きいパオポロ・パーク (英: Puopolo Park) があり、こちらも娯楽用の施設を保有している。 パオポロ・パークの入口にはボストン市民協会が設置した小さな記念碑が設置されており、糖蜜災害を今に伝えている。記念碑には"Boston Molasses Flood" (日: ボストン糖蜜洪水) という題名が付けられており、次の文面が記されている。 1919年1月15日、商業通り529番地にあった糖蜜貯槽に圧力がかかって破裂し、21名が死亡した。40フィート (12メートル) の糖蜜の波が高架鉄道の軌道を捻じ曲げ、建物を破壊し、地域に溢れ返った。貯槽の構造上の欠陥が季節外れの温かい気温と合わさってこの災害を招いた。 糖蜜災害が起きて以来、糖蜜の洪水がもたらした損傷のためだけでなく、災害後も数十年間ノースエンドを充満し続けた甘い匂いのため、この事故は地元の文化の主要な要素となっている。ジャーナリストのエドワーズ・パークは、糖蜜の匂いは数十年もの間、紛れもなくボストンの独特の空気であり続けたと述べた。 2019年1月15日、糖蜜災害の100周年のイベントのために記念式典が開催された。地中探査レーダを使用して、1919年に貯槽があった正確な場所が突き止められた。ランゴン・パークの野球場の内野の場所から約50センチメートル下に、貯槽の基礎だったコンクリートの厚板が残っていたのである。式典の参加者たちは貯槽の縁の位置を示す円の中に立った。そして、糖蜜の洪水が原因で死亡した21名の名前を読み上げた。
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