蠶織神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 15:31 UTC 版)
蠶織神社(こおりじんじゃ)は、1782年(天明2年)に網野神社の本殿として建立され、1921年(大正11年)に現在の本殿が新築されるまで、上屋が設置されていた。御神体の遷座とともに上屋は取り除かれ、以後は社殿本体のみとなっている。 1925年(大正14年)4月、織物の神とされる天照大神、天棚機姫大神と、養蚕の神とされる和久産巣日神、大宜津比売神を祀り、織物産業の守護と技能向上や商売繁盛を祈願する末社と位置付けられた。当時の京都府知事の斡旋により、織物の神々は京都紫野にある今宮神社から分霊し、養蚕の神々は皇居の紅葉山に祀られる養蚕神から分霊し勧請したもので、「蠶織神社」という社名は大正天皇の后である貞明皇后の命名による。この皇室との縁を表して社紋に「菊」と「桐」を掲げる。4月15日に挙行された鎮座祭には網野町民ほか郡内養蚕業者ら数千人が参列し、盛大に行われたと伝えられる。その後も4月中旬には織物業者らが中心となって産業振興を祈願する神事が執行されており、ちりめん祭へと受け継がれた。ちりめん祭ともども、日本遺産「300年を紡ぐ絹が織り成す丹後ちりめん回廊」の構成文化財に含まれる。ちりめん祭での祈願祭で前年に奉納した丹後ちりめんの反物で制作するお守り袋に入れたおみくじが特徴。 小金神社 - 1924年(大正14年)1月22日に、蠶織神社に合祀された境内社。祭神は鉱山の神である金山彦命と、水や雨を司る高龗神である。このうち高龗神はもともと墨江浦浜に鎮座した貴船神社の祭神であったが、遷座時期は不明ながら小金神社に合祀していたものと伝えられる。 大日霊(おおひるめ)神社 - 1924年(大正14年)1月22日に、蠶織神社に合祀された境内社。祭神は大日霊神(天照大神)と、若宇賀之女命(豊受大神)である。
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