藤井が1964年以降に考案および実施した主なもの
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「京成電鉄のダイヤ改正」も参照 ラッシュ時の優等列車の2本続行運転 1965年12月1日ダイヤ改正時に実施。通勤急行と通勤準急との続行、および通勤準急の2本連続での続行運転であった。この手法は阪神電気鉄道や京浜急行電鉄などの一部区間で既に採用されていたが、京成では京成本線の全線に導入。導入理由は阪神や京急と異なり、優等列車の混雑緩和を増発にて行う際、18m車4連までの運転しかできない当時の設備面のネックに対して編成増強と言うハード面ではなくソフト面であるダイヤ側で対処することが目的であった。なお、一部の区間などで優等列車が続行するケースも他の事業者で既に事例があったが、設備上の制約の理由で優等列車の続行運転ダイヤを採用したのは京成が初であった。 優等列車(通勤準急。現在廃止)の都営地下鉄浅草線への直通列車の設定 押上駅におけるプラットホームの混雑緩和および利便性の向上を主目的としたもの。設定に当たっては東京都交通局との協議を行い、同局幹部職員より承諾を得た。 列車種別の整理 1974年12月16日ダイヤ改正で実施。過剰サービスの整理および新空港開港準備を主目的としたもの。これにより一部区間で停車回数の減少および減便などが伴うために運輸省や沿線の利用者団体と幾度となく交渉を行った。 新東京国際空港(当時)開港に伴う「スカイライナー」の運行関係の立案作業、および「京成スカイライナー放火事件」の対処、これによる開業からおおむね3か月間の始発列車での前方監視業務等。
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