著名な登攀と遠征
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「コンラッド・アンカー」の記事における「著名な登攀と遠征」の解説
1987年 - アメリカ合衆国アラスカ州アラスカ山脈キチャトナ山群グーニー峰南東壁。セス・'S.T.'・ショウ、ロバート・イングル、ジェームス・ガレットとともに初登。5月8日登頂。 1989年 - アメリカ合衆国アラスカ州アラスカ山脈ハンター山北西壁。セス・'S.T.'・ショウとともに初登。7月3日登頂。 1990年 - アメリカ合衆国ユタ州ザイオン国立公園ストレックド・ウォールRodeo Queen。マグス・スタンプとともに初登。 1992年 - アメリカ合衆国アラスカ州キチャトナ山群ミドル・トリプル・ピーク 東バットレス。セス・'S.T.'・ショウとともに第二登。 1992年 - アメリカ合衆国ユタ州ザイオン国立公園レッド・アーチ・マウンテン「Shunes Buttress」。デイブ・ジョーンズとともにフリー初登。 1994年 - パタゴニアトーレ・エガー南東壁「Badlands」(YDS VI 5.10 A3 WI4+, 1000m)。ジェイ・スミス、スティーブ・ガーバーディングとともに12月12日初登。 1997年 - 南極大陸エルスワース山脈Peak Loretan「The Northwest Face」(V 5.8, 2100m)。1月15日-16日単独登攀。 1997年 - 南極大陸ドロンニング・モード・ランドRakekniven峰。アレックス・ロウ、ジョン・クラカワーとともに初登。ナショナルジオグラフィック1998年2月号の巻頭記事に特集された。 1997年 - パキスタンカラコルム山脈ラトックII峰「Tsering Mosong」。アレックス・フーバー、トーマス・フーバー、トニー・ガッシュとともに初登。 1997年 - アメリカ合衆国カリフォルニア州ヨセミテ国立公園エル・キャピタン「Continental Drift」。スティーブ・ガーバーディング、ケビン・ソーとともに初登。 1999年 - ネパール・チベットエベレスト「マロリー・アーヴィン調査遠征」 1999年 - チベットシシャパンマアメリカン・スキー・エクスペディション。登攀パートナーアレックス・ロウとカメラマンデイビッド・ブリッジズが巻き込まれて死亡した巨大雪崩に遭遇するも、生き延びる。 2001年 - 南極大陸エルスワース山脈ヴィンソン・マシフ東壁。ジョン・クラカワーとともに初登。2003年2月、アメリカPBSの番組Novaに取り上げられた。 2005年 - ネパールクーンブ地方チョラチェ南西稜。5月12日、ケビン・ソー、ジョン・グリバー、クリス・エリクソン、アビー・ワトキンスとともに登頂。 2007年 - レオ・ホールディング、ジミー・チン、ケビン・ソーが参加した遠征隊Altitude Everest Expedition 2007を指揮し、マロリーのエベレストでの最後の足跡を辿った。2度目のエベレスト登頂。 2011年 - メルー峰「シャークス・フィン」。ジミー・チン、レナン・オズタークとともに初登。5月、マッキンリー山にて雪に埋もれた遺体を発見し通報。一時、植村直己ではないかと捜索が行われたが、発見には至らなかった。 2012年 - ナショナルジオグラフィック、ザ・ノース・フェイス、モンタナ州立大学、マヨクリニックが参加した遠征隊「Everest Education Expedition」を指揮し、自身3度目のエベレスト登頂(今回は無酸素)。コリー・リチャーズ、サム・エリアス、クリス・エリクソン、エミリー・ハリントン、フィリップ・ヘンダーソン、マーク・ジェンキンス、デイビッド・ラージソンPh.D、ヒラリー・オニールが参加。Mayoチームのメンバーは、ブルース・ジョンソン、ランドン・バセット、デレク・キャンベル、アマイン・イサ。ベースキャンプでの支援隊のメンバーは、アンディー・バードン、トラビス・コーサウツ、アンジン・ヘンダーソン、マックス、ロウ。 他にも、ヨセミテ国立公園、ザイオン国立公園、バフィン島、エルスワース山脈で著名な登攀を行っている。
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