著名な和歌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 10:16 UTC 版)
平安期より近代に至るまで数多くあり、塩山の地名の由来となった「塩の山」は枕詞として、また「ちどり」といえばこの地を差すほど和歌が数多くある。江戸時代には松尾芭蕉・昭和初期には与謝野晶子夫妻がここを訪れており、歌人・文学者である窪田空穂はこの山頂からの風景を詠っている。 「しほの山差出の磯にすむ千鳥君が御代をば八千代とぞなく」(「古今和歌集」) 「しほのやま ゆきげのくもや はれぬらん さしでのいその 月のさやけき」(「忠盛集」) 「八千代とぞ 千どりなくなる しほの山 さしでのいその 跡をたづねて」(「文治六年女御入内和歌」) 「しほの山 さしいでの磯の 冬浪に 千とせをいのる 友ちどりかな」(「後鳥羽院御集」) 「なみかくる さしでのいその いはねまつ ねにあらはれて かわくまもなし」(「建久五年「六百番歌合」中宮権大夫(藤原家房)) 「はま千鳥 さしでの磯に 声たてて 八千代もしるき 君が御代かな」(「石清水若宮歌合正治二年」) 「波さわぐ さしでのいその 岩ねまつ かたがたにのみ 袖ぬらせとや」(「夫木和歌抄」後徳大寺左大臣(藤原実定)) 「塩の山 さしての磯の 秋の月 八千代すむへき 影そ見えける」(「新後撰集賀歌」前大納言雅言卿) 「興津塩 さし出の磯の 浜千鳥 風寒からし 夜半に友よふ」(「玉葉集」権中納言長方卿) 「小夜ちとり 空にこそなけ 塩の山 さしての磯に 波やこすらん」(「新千載集」忠房親王) 「千鳥なく しほのさしての いその松 やちよのこゑに ちよの色そふ」(「夫木集」権僧正公朝) 「やちよとそ 千鳥なくなる しほの山 さしてのいそに あとをたつねて」(「夫木集」隆信朝臣) 「しほの山 さして出のいその 明かたに 友よふたつの 声きこゆなり」(「夫木集」左近中将経家卿) 「波さはく さしいてのいその 岩ねまつ かたかたにのみ 袖ぬらせとや」(「夫木集」後徳大寺左大臣) 「なみのうへや 猶すみまさる あま小舟 さしいてのいその 秋の月かけ」(「夫木集」民部卿為家) 「更ぬるか 寒き霜夜の 月影も さし出の磯に ちとりなくなり」(「草庵集」頓阿法師) 「春の色も 今ひとしほの 山なれは 日かけさしての 磯そかすめる」(「廻国雑記」護院道興法親王) 「はる日かけ さしていそくか しほの山 たるひとけとや うくひすのなく」(「廻国雑記」護院道興法親王) 「冬の夜の 有明の月も しほの山 さしいてのいそに ちとりなくなり」(「廻国雑記」従二位家隆卿) 「こゑはみな やちよときけは しほの山 いそへのちとり ためしにそなく」(「廻国雑記」大納言経道卿) 「みつしほの さしてのいそに すむ月は 千世もかきらし 久かたのそら」(「廻国雑記」従二位範定卿) 「今夜こそ 月もみちけれ しほの山 さしての磯に 雲もかゝらで」(「廻国雑記」衣笠大納言) 「年経とも 色はかはらし 岩がねの さし出の磯を あらふ白浪」(前大納言資季卿) 「波のうへや なをすみまさる あま小船 さし出の磯の 秋の月かげ」(民部卿為家) 「浪かくる さし出の磯の 岩ね松 ねにあらはれて かはくまもなし」(中宮大夫定房) 「今は又 川にさし出の 磯千鳥 ふりし昔の 跡をとめけり」(賀茂季鷹) 「打むれて けふはさしでの 磯千鳥 みやこのつとの 一声もがな」(賀茂季鷹) 「しほの山 さし出の磯の 友千とり 八千代の鳴し 昔忍ばゆ」(年徹) 「ちとり鳴 汐のさし出の 磯の松 八千代の声に ちよの色そふ」(権僧正公朝) 「塩の山 差出の磯の 山の家 たまもましりの 蜑の笘ふき」(鴨長明) 「亀の甲 指出の磯に 散りかゝる 花をかつかぬ うろくすもなし」(為世) 「塩の山 差出の磯の しき波に 千年を祈る 友千鳥哉」 「指出の磯 さしもかしこし これはこれ かみ代になれる 塩なはの山」(可雲) 「塩の山 さし出の磯の さして来し かひありけりと しるきこのたひ」(賀茂季鷹) 「ともちとり 指出の磯や 暮ぬらん 鶴の群に 鳴わたる声」(宗祇) 「七日子の 神のみつぎの よりくるや さしでの磯の 波のうねうね」(藤原隆伊朝臣) 「塩の山 差出の磯の 浜千鳥 ねたかの森に かゝる白波」(読人知不) 「満しほに ひかれても又 立かえれ さしでの磯の あまのつり舟」(源俊平) 「闇の夜や巣をまとはして啼千鳥」(松尾芭蕉) 「いにしへの差出の磯を破らじと笛吹川の身を曲ぐるかな」(与謝野晶子) 「兄川にならぶ弟川ほそぼそと青山峡をながれてくだる」(窪田空穂)
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