著名な中国の宦官
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豎刁 - 春秋時代の人。斉の桓公の家臣で、自ら後宮の管理を願い出て去勢した。自宮宦官の始めと伝えられる。桓公死後に斉の政治を乱した。 趙高 - 秦。李斯と共に始皇帝の死を秘して、二世皇帝胡亥を擁立した。宦官の概念を悪化させた元凶とされる。 司馬遷 - 前漢時代の歴史家、『史記』の著者。武帝を怒らせて宮刑に処される。 蔡倫 - 後漢。製紙法を改良した。 曹騰 - 後漢。順帝の宦官改革によって爵位相続、養子(曹嵩)などを得る。自身は慎み深かったが、その子孫(孫の曹操、曾孫の曹丕)は後漢王朝に終止符を打つ事になる。 十常侍 - 後漢。霊帝に仕えて中常侍の官にあった宦官集団のこと。「十」という数字が記されているが、正史によれば実際には12名いたという。 黄皓 - 蜀漢。劉禅に仕え、国の実権を握り自分勝手に人事を変え、蜀漢滅亡の元凶となる。 張蚝 - 前秦。張平・苻堅に仕え、宦官でありながら勇猛な将軍であり、前秦随一の猛将といわれた鄧羌と共に、「万人の敵(一万の兵に匹敵する程の強さ)」と称賛された。 宗愛 - 北魏。太武帝に仕えたが、のちに殺害。跡を継いだ南安隠王も殺害するなど朝政を専断したが、陸麗・劉尼・源賀らに捕えられて処刑された。 高力士 - 唐。玄宗に仕え、皇帝に代わって雑事を取り仕切った。 李豬児 - 唐。契丹の出身者で安禄山に仕えた。安禄山自身の手で去勢されたエピソードで有名。 童貫 - 北宋末。皇帝徽宗の寵愛を受け、軍の指揮官として方臘の乱を鎮圧した。 鄭和 - 明。南海大航海を行った。 亦失哈 - 明。女真族の出身。東北方面に何度も出征し、アムール川下流域に奴児干都司を設立した。 劉瑾 - 明。正徳帝期の初めに政治を専断した。自ら帝位につこうと謀反を企てたために凌遅刑で処刑された。 魏忠賢 - 明。天啓帝に代わって政務を壟断し、各地に自らの像を収めた祠を作らせるほどの権勢を誇った。 王承恩 - 明。崇禎帝に仕えた。明の滅亡時、最期まで皇帝に忠実に従い、その死に殉じた。 董海川 - 清。皇族の武術教師。八卦掌の創始者。 李蓮英 - 清。西太后に重用された。 例外的な存在として、嫪毐のように実際は宦官ではなかったが、宦官と偽って後宮に入った例も存在する。
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