明の滅亡とは? わかりやすく解説

明の滅亡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 17:11 UTC 版)

鄭成功」の記事における「明の滅亡」の解説

1644年李自成北京陥落させて崇禎帝が自縊すると、明は滅んで順が立った。すると都を逃れた旧明の皇族たちは各地亡命政権作った鄭芝龍らは唐王聿鍵を擁立したが、この時元号隆武定めたので、聿鍵は隆武帝呼ばれる一方寄せ集めの順が精悍な清の軍勢入関によってあっけなく滅ぼされると、中原満州民族王朝が立つことは覆しがたい状況となり、隆武帝政権は清の支配対す抵抗運動にその存在意義求めざるを得なくなったそんな中鄭成功は父の紹介により隆武帝謁見賜る。帝は眉目秀麗いかにも頼もしげな成功のことを気入り、「朕に皇女がいれば娶わせるところだが残念でならないその代わり国姓の『』を賜ろう」と言う。それではいかにも畏れ多いと、鄭成功決し姓を使おうとはせず、鄭姓を名乗ったが、以後人からは「国姓賜った大身」という意味で「国姓爺」(「爺」は「御大」や「旦那」の意)と呼ばれるうになる隆武帝軍勢北伐敢行したが大失敗終わり隆武帝殺され、父鄭芝龍抵抗運動将来無し見て清に降った。父が投降するのを鄭成功泣いて止めたが、鄭芝龍翻意することなく父子今生の別れ告げる。

※この「明の滅亡」の解説は、「鄭成功」の解説の一部です。
「明の滅亡」を含む「鄭成功」の記事については、「鄭成功」の概要を参照ください。

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