明の滅亡と清の入関
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 17:22 UTC 版)
翌1644年(順治元年、崇禎17年)3月19日、李自成率いる順軍が北京を陥落させ、明を滅ぼした。清軍はドルゴンの主導の下、山海関を開城して清に下った呉三桂を先頭に、北京へ向かった。北京の順軍は明を滅ぼした後、おのおの官職を決めたり明の高級官僚を処罰したりと忙しかったが、山海関の中に入った清軍を4月23日に迎え討った。清軍は大勝し、さらに敗走する李自成を追って通城(現在の湖北省)まで南下し、順を滅ぼした。10月19日、順治帝はドルゴンに迎えられて北京に入城した。
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