草創期 創部以来の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 06:19 UTC 版)
「甲南大学レッドギャング」の記事における「草創期 創部以来の歴史」の解説
1955年に池田高校出身でタッチフットボール部出身の奥村統司、木村昌弘、豊中高校出身の翁宣之の三人が中心となり創部への第一歩を踏み出した。問題点は部員の勧誘と防具の手配であった。が、彼らの熱心な勧誘で数名の入部希望者が現れた。次いで防具を入手しなければならなかったが、当時一般に販売されていない防具をどのようにして入手すればよいかと困惑した奥村氏は池田高校タッチフットボール部の一年先輩で関西学院大のOBでもある長手功氏に相談した。するとタイミングの良いことに警視庁のフットボールチームが廃止になり、その中古の防具を関西フットボール連盟が買い受け、それを長手氏の紹介によって、当時の山之内協会理事長の好意で譲って頂くことになった。誰もがアメリカンフットボール未経験で練習方法も分からなかったため、防具入手で尽力を頂いた長手氏に正式にコーチ就任を依頼。そして初代監督には旧制甲南高校アメリカンフットボールチームOBの月野氏に依頼した。同年10月、正式にアメリカンフットボール同好会として学内に認められ、11月には連盟に加盟。関西では関西大学、同志社大学、関西学院大学、京都大学、立命館大学に次ぐ6番目の加入。1956年の春は、部員不足の関係から甲南大学単独での合宿は困難であったが、関西大学のはからいにより彦根での合宿に参加することとなった。4月15日には西宮球技場において、旧制甲南高校フットボールOBの協力も得て、オール滋賀との初試合(第二回西日本選手権大会 19-0で勝利)が行われた。同年、学習院大学と定期戦を結び、第一回を5月5日明治大学グラウンドで開催し、24-14で勝利。1956年11月に関西学生リーグ戦に初参加。結果は6チーム中6位に終わる。1958年に体育会に昇格。過去最高位は2位(1960年から63年と1971年)。【甲南大学体育会50年誌より】
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