英国の傍受
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 09:04 UTC 版)
この電報は、ウィリアム・R・ホール海将の指揮下にある英海軍情報部ルーム40の暗号解読班ナイジェル・デ・グレーおよびウィリアム・モントゴメリーによって、その要点をつかむには十分なほど傍受され解読された。 外務省が使用した暗号(0075)の解読が可能だったのは、アフガニスタンやイランをイギリスに対して宣戦させるべく中東で動いていたドイツのエージェント、ヴィルヘルム・ヴァースムスから鹵獲した古い版の暗号で使われた平文とコードブックや、その他の技法を用いて部分的に暗号解読されていたためだった。 英国政府は告発する電報を暴露したかったが、ジレンマに直面した。もし露骨に実際の電報を提示すれば、ドイツは彼らの暗号が解読されたことに感づくだろうし、また公表しなければ、第一次世界大戦にアメリカを引き込む有望な機会を逃すだろう。ドイツの潜水艦攻撃で約200人の人命が奪われアメリカの反独感情が特に高ぶっていた時、この電報が送られたのだった。 また、別の問題から、それらを秘密裡のうちにアメリカ政府に見せることもできなかった。ドイツは、その内容の重要性から、3つの別個のルートを使い、ベルリンからワシントン駐在のドイツ大使、ヨハン・フォン・ベルンシュトルフ宛にメッセージを送っていた。そこからさらにメキシコ駐在のドイツ大使フォン・エックハルトのもとへ転送された。 英国が入手したのはこれらのうち1つだけだった。アメリカは、ドイツがウィルソン大統領の和平における主導権を得るため、ドイツ自身の非公開外交通信に米国の通信網の利用を許可していた。メッセージは暗号化されており、また原則的に当時の米国は他国の外交通信を読んでおらず、かつ米国は英国のような暗号解読能力は持っていなかったので、ドイツ人はそれを使用することを恐れていなかった。電信ケーブルはベルリンの米国大使館からコペンハーゲンへ、さらに英国経由でアメリカへ海底ケーブルによって繋がっていた(この途上の英国で通信を監視していた)。 つまり、英国がアメリカに電報の出処を知らせるということは、英国が米国の外交通信をも傍受していたことを白状するに等しかった。
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