船舶設計協会の活動と解散
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/02 03:00 UTC 版)
「船舶設計協会」の記事における「船舶設計協会の活動と解散」の解説
上記のように、28年度計画での警備船(はるかぜ型およびあけぼの・いかづち型)については、船舶設計協会の正式発足以前から検討が進められていたこともあって、比較的短期間に完了することができた。また翌29年度以降も、300トン型駆潜艇(かり型・かもめ型・はやぶさ)やあやなみ型(30DDK)、初代むらさめ型(31DDA)、初代あきづき型(OSP)等、各種艦艇の基本設計を受託したほか、高張力鋼の開発とその工作法の研究、復原性能、推進性能、旋回性能等に関する実験研究、 建造工作法の指導等についても受託し、その要請にこたえた。この間、関係各社の技術者、学識経験者による各種委員会を組織して、上記の諸問題を解決し、初期の保安庁(防衛庁)技術陣の弱体を補い、初期国産艦の建造に多大の貢献をした。 しかしあきづき型の設計を行うころには、防衛庁からの発注量が当初の予想を下回るようになっていた。一方、技術研究所では設計要員の充実を必要としていたこともあり、一部では1956年末で船舶設計協会を閉鎖することも検討されるようになっていた。結局、あきづき型の基本計画が終わる1958年3月末を目処に閉鎖することとなった。それまでの間に、寺田明、伊東勇雄、緒明亮乍をはじめ、主要スタッフのほとんどが、自衛官又は技官として防衛庁に採用され、以後の防衛庁艦船設計陣の中核となった。
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