船舶輸送の改善
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 08:38 UTC 版)
辺境の薩摩藩にとって産物の輸送は船が頼りであった。改革前は輸送用の船を借り上げて使用していたが、自前の輸送手段を持たなかったため、肝心な時に使用を断られたり、高額な借り賃を要求されたりしていた。調所は改革開始当初からこの問題の解決に取り組み、文政12年(1829年)、薩摩藩領の日向に造船を命じた。海に面しておらず、また経済的に困窮しているとして薩摩藩領の日向は当初、造船命令に難色を示していたが、説得を繰り返した結果、造船を行い、領内産物の輸送に大きく貢献した。 その後、奄美大島、徳之島、喜界島の三島への物資の輸送、そして鹿児島から大坂へ向かう船舶を新造し、改革前と比較して輸送環境は大幅に改善していく。
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