自殺的と自殺行為に近い任務
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/07 06:15 UTC 版)
「第200爆撃航空団 (ドイツ空軍)」の記事における「自殺的と自殺行為に近い任務」の解説
自爆攻撃を行う飛行部隊を編成する考えが具体的に浮上したのは、日本よりドイツの方が早く、1944年2月に、オットー・スコルツェニーとハヨ・ヘルマンにより提案されている。この考えはハインリヒ・ヒムラーとハンナ・ライチュにより支持され、彼女のヒトラーへの働きかけにより、第5飛行中隊が創設された。 第5飛行中隊は、古代ギリシアのスパルタ王レオニダス1世にちなんで、非公式に「レオニダス飛行中隊」と呼ばれた。レオニダス1世は、紀元前480年のテルモピュライの戦いで、ペルシア軍の進撃を食い止め、壮絶な戦死を遂げた。 大戦末期に少数のドイツ軍の高級将校たちは帝国上空に侵入する連合国軍の爆撃機を阻止する最後の手段として自殺戦闘作戦を強要した。この作戦はゼルブストプファー(Selbstopfer、自己犠牲)として知られ、V1 パルスジェット 巡航ミサイルを有人化したフィーゼラー Fi 103R(ライヒェンベルク)機を使用して敵爆撃機や地上目標に突入させるものであった。幾度かのテスト飛行がレオニダス飛行中隊により実施され、パルスジェット推進ミサイルの大量生産が始まったがこの様な作戦は貴重なパイロットの浪費だと感じていたヴェルナー・バウムバッハ大佐の介入により中止させられた。 アクティオン24(Aktion 24)作戦の一部として、ヴィスワ川に着水して赤軍の使用する橋を爆破する目的でドルニエ Do 24が改造され爆発物が搭載された。熟練のパイロットの飛行により目標の上流に着水し、橋に命中すると確信した時点で"自殺パイロット"は機体を放棄し爆薬に点火することになっていた。赤軍が反撃してこないという仮定や脱出した後で搭乗員が友軍の支配地域に帰ってくるというコンセプトは甚だ疑わしかった。この作戦用に改造された航空機は敵機の攻撃を受けて地上で破壊された。 1945年4月21日、赤軍は、レオニダス飛行中隊の基地のあるユテルボグ(Jüterbog)に迫った。このため、中隊の飛行は停止、人員は避難させられ、部隊は事実上消滅した。
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