自殺未遂事件~死去
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 05:41 UTC 版)
1957年に、国会の衆議院予算委員会で日本相撲協会の在り方が追及されて改革を迫られたが、神経を磨り減らしたのと強い責任感から、同年5月4日に蔵前国技館内の取締室にガスを充満させ、鎧通しを用いて腹と首を割って自殺を図った。発見が早かったため一命は取り留めたが、現役理事長の自殺未遂事件を重く受け止めた協会は出羽海理事長の退任と相談役への就任を決め、後任として時津風を据えた。 この後も日本相撲協会で隠然たる勢力を持ちつつ部屋の力士の養成に注力したが、1960年九州場所(11月場所)千秋楽翌日の11月28日、二日市温泉の旅館で胃潰瘍のため急死した。同年12月10日には勲三等瑞宝章が追贈され、同年12月26日に協会葬で送られた。
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