老莱子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/05 15:52 UTC 版)

老莱子(ろうらいし[1]、旧字体: 老萊子、紀元前5世紀?[2])は、中国春秋時代楚の隠士[2]。道家の思想家。儒教の『二十四孝』にも数えられる[2]。一説には老子と同一人物[2]。著作に『老莱子』があったが現存しない[2]。
人物
老子の正体は諸説あり、一説に老莱子とする説があった。老莱子は、孔子と同時代の道家の楚人だった[2](『史記』老子韓非列伝)。
老莱子は大変な親孝行者であり、70歳になっても五彩の着物(綵衣、斑蘭の衣)を着て幼児のマネをし、親に歳を忘れさせ喜ばせた(『二十四孝』戯彩娯親、『蒙求』老莱班衣、武氏祠画像石ほか)[1][2][3]。
その他、孔子や子思と対話した説話(『荘子』外物、『孔叢子』抗志)、楚王への出仕を拒み妻と隠棲した説話(『列女伝』楚老莱妻ほか)などが伝わる。
『老莱子』
道家の書物として『老莱子』があった[2]。『史記』老子韓非列伝では15篇、『漢書』芸文志では16篇とされ、『隋書』経籍志以降は著録されていない[2]。
佚文がわずかに伝わり、馬国翰『玉函山房輯佚書』に輯本1巻がある[2]。
脚注
老萊子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/11 00:08 UTC 版)
老萊子(ろうらいし)は、両親に仕えた人である。老萊子が70歳になっても、身体に派手な着物を着て、子供の格好になって遊び、子供のように愚かな振る舞いをし、また親のために食事を運ぶ時もわざと転んで子供が泣くように泣いた。
※この「老萊子」の解説は、「二十四孝」の解説の一部です。
「老萊子」を含む「二十四孝」の記事については、「二十四孝」の概要を参照ください。
老萊子と同じ種類の言葉
- 老萊子のページへのリンク