義輝殺害の理由・経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 05:21 UTC 版)
義輝が殺害された理由や殺害に至るまでの経緯に関しては諸説あり、未だ定説には至っていない。 山田康弘は義輝の殺害に関して、義輝一族=義澄系足利氏の族滅を進めることによって、三好氏が擁立することになる義稙系に将軍家を統一し、半世紀以上にもわたる「二つの将軍家問題」に由来する政治的不安定を解消しようとする意図があったとする。 小林正信は義輝の殺害を計画的なものとし、義輝の生母や愛妾、義輝の末弟に至るまで殺害されていることから、その一族すべてを執拗に狙った三好氏らの用意周到さが垣間見え、偶発的なものではなかったと考察している。また、御所への包囲は前日から密かに進められており、当日には周囲を完全に封鎖されていたと見るべきだ、とも述べている。 山田邦明は、三好・松永側は実際に訴訟(要求)の取次を求めて御所を訪れたものの、取次の際の齟齬から両軍の衝突に発展してしまったもので、最初から義輝の殺害を計画していた訳ではないとする。 柴裕之は、三好側の意図としては側近たちの排除を目的として政治的要求を行うために御所を包囲する、いわゆる「御所巻」と呼ばれるもので、それ自体はかつての観応の擾乱における足利直義失脚、康暦の政変における細川頼之失脚、文正の政変における伊勢貞親失脚と同じ性格であったが、フロイスの記述を信じればその要求は将軍の妻妾や側近の処刑を含むもので、義輝にとっては受け入れがたかった内容を含むものであったために、その要求を拒絶するために実力排除を試みた結果とみる。 久野雅司は義輝の殺害を、将軍の権威高揚に対して、三好氏の権威の再興をかけて行ったものであったとものと考察している。「御所巻き」に関しては、『足利季世記』に「強訴と偽って」とあることから、義輝を欺くことが目的であったとしている。 木下昌規は、最初から義輝の殺害が目的であれば、政治的要求を申次である進士晴舎に提出するという正規の手続きを取っている理由が不明であるとする反面、その政治的要求で処刑を求められた側近と妻妾の中に進士晴舎とその娘の小侍従局が含まれていたとすれば交渉自体が成立する可能性が低く(特に進士は三好氏との取次で、彼が突然自害したことで「手切」とみなされて戦いが始まっている)、殺害の意図の有無を推し量ることは難しいとしている。
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