総理各国事務衙門
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/06 08:42 UTC 版)
総理各国事務衙門(そうりかっこくじむがもん、通称:総理衙門、満洲語:ᡤᡝᠷᡝᠨ
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ᡠᡥᡝᠷᡞᠯᡝᠮᡝ
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ᠶᠠᠮᡠᠨ、転写:geren gurun -i baita be uherileme icihiyara yamun)は、清朝後期、外交や洋務(鉱山や鉄道に関する政策等)を管轄するために設立された官庁。1861年1月20日から1901年9月7日まで存在した。「総署」、「訳署」とも略称される。以下の解説では総理衙門と簡称する。時代が下るにつれて外交における影響力は低下したが、それまでの歴代中国王朝の外交手法を一変させる作用があった。
- ^ 天津条約で開港を約束したのは、牛荘(奉天省)、登州(山東)、漢口(長江沿岸)、九江(長江沿岸)、鎮江(長江沿岸)、台南(台湾)、淡水(台湾)、汕頭(広東省)、瓊州(海南島)、南京(長江沿岸)の10港
- ^ ロバート・ハート(英:Sir Robert Hart、中:羅伯特·赫德, 1835年 - 1911年)は、1853年から1908年まで清に滞在した中国通。祖国イギリスでは男爵位に叙され、清朝からも1889年に正一品官に任ぜられた。
- ^ アンソン・バーリンゲーム(英:Anson Burlingame、中:蒲安臣、1820年 - 1870年)の欽差大臣任命:通常であれば外国公使を大臣に任命する事は有り得ないが、この時は「他に適任無し」として恭親王から上奏して認められた。この使節団はアメリカからヨーロッパに渡り、イギリス・フランス・プロイセン・ロシアを歴訪した。
- ^ 総理衙門の大臣数は、初期は3~5人だったが、後に9~11人に膨れ上がった。
- ^ 但し海関総税務司署を統べる総税務司は「最大貿易国がイギリスである限りはイギリス人を登用する」という約束に従って、代々イギリス人が務めていた。
- 1 総理各国事務衙門とは
- 2 総理各国事務衙門の概要
- 3 沿革
- 4 洋務運動の推進
- 5 参考文献
- 總理各國事務衙門のページへのリンク