絶対主義への回帰と自由主義革命
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 14:22 UTC 版)
「スペイン・ブルボン朝」の記事における「絶対主義への回帰と自由主義革命」の解説
自由主義者たちから歓喜の声をもって迎えられたフェルナンド7世であったが、その期待は裏切られた。1814年には多数の自由主義者を逮捕するとともに、1812年に制定されたカディス憲法の無効を発表したのである。さらには、ボナパルト朝時代に廃止された領主裁判権や異端審問を復活させ、検閲制度を強化させた。 フェルナンド7世に幻滅した自由主義者たちは秘密結社を形成し、1820年にリエゴ将軍の許でスペイン立憲革命が勃発する。フェルナンド7世はカディス憲法への誓約を余儀なくされ、自由主義の時代が始まった。この時代には、異端審問所の再廃止や経済の自由化といった革新的な改革が次々と行われたが、この政策はかえって地方の保守的な農民層の反発を招き、自由主義者たちも分裂して不安定極まりなかった。これを好機と見たヨーロッパ諸国は、ウィーン体制維持のために復古王政下のフランスにスペインの自由主義を潰すように頼み、ルイ18世もこれに応える形で「聖ルイの10万の息子たち」と称したフランス軍を派遣して1823年に自由主義政府を滅亡させた。リエゴは反逆罪で処刑されたが共和主義者の象徴となり、それを称えた『リエゴ賛歌』は第二共和政時代のスペインの国歌となった。 政権に返り咲いたフェルナンド7世は再び反動政治を行うが、駐留したフランス軍から新体制への転換を求められ、次第に自由主義者たちと接近するようになり、進歩的な改革を行うようになった。
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