第二共和政時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:00 UTC 版)
詳細は「ギリシャ第二共和政」を参照 1923年7月、ローザンヌ条約により、ギリシャはドデカネス諸島、インプロス、テネドスを除くエーゲ海島嶼を手に入れたが、これによりトルコ領内のキリスト教徒、ギリシャ領内のイスラム教徒の交換(ギリシャとトルコの住民交換)が行われた。この交換には民族を基準としたものではなく、宗教を基準としたもので、問題点は多かったが、この交換でギリシャに移住した人々はヴェニゼロスの支持基盤となる。そのため、亡命していたヴェニゼロスは帰国したが、国内の混乱を収めることができず、結局、1925年6月24日セオドロス・パンガロス (将軍)(英語版)将軍によるクーデターが勃発した。しかし、パンガロスは外交政策に失敗、まもなく失脚した。この混乱した政局は収まることなく、1935年3月1日にはen:Nikolaos Plastirasによるen:1935 Greek coup d'état attempt)が起った。6月9日en:Greek legislative election, 1935。10月10日にはen:Georgios Kondylisによるクーデターが起こり、11月11日に軍政下の選挙で王党派のパナギス・ツァルダリス(英語版)が政権を奪取したことにより(en:Greek monarchy referendum, 1935)、共和政の廃止と王制の復活が決定、国王としてゲオルギオス2世が復位、第二共和制は瓦解した。
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