第二共和政期から第二帝政期(1848年 - 1870年)
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「オルレアニスム」の記事における「第二共和政期から第二帝政期(1848年 - 1870年)」の解説
1848年革命が起きたのは、それぞれに個性の強すぎる王子や政治家たちによる政権運営が行きづまったことも一部にはあったが、主には18年もの間オルレアン派によって権力から遠ざけられていた、「法定人口」から外れた人々の不満が原因であった。オルレアニストは第二共和政(1848年 - 1852年)と第二帝政(1852年 - 1870年)の間、自派閥に属する人々の富と才能のおかげで、きわだった社会的、文学的威信を保つことが出来た。彼らはアカデミー・フランセーズで影響力をふるい、『両世界評論』誌や『ジュルナル・デ・デバ』紙といった報道の世界で才能を発揮した。 第二共和政に引き続いて成立した第二帝政の時代、オルレアニストは無尽蔵ともいえる巧妙さと機転とを使って政府に対する慎重な反対活動を行った。彼らは政府に対する冷たい沈黙や無視を続け、そして帝国は外国や旧体制の人々から非難を受けていると断じる歴史研究を発表したりして、ナポレオン3世を苦しめ続けた。しかし、オルレアニストたちはパリの文芸サークルの外、殊に地方ではほとんど支持を受けていなかった。
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