紙本著色桃井直詮像とは? わかりやすく解説

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紙本著色桃井直詮像〈伝土佐光信筆/〉

主名称: 紙本著色桃井直詮像〈伝土佐光信筆/〉
指定番号 1876
枝番 00
指定年月日 1988.06.06(昭和63.06.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 絵画
ト書 海〓梵覚の賛がある
員数 1幅
時代区分 室町
年代
検索年代
解説文:  本図室町時代から桃山時代にかけて栄えた芸能一つである、幸若舞の祖、桃井直詮の像と伝えられる。それを証する史料乏しいが、裏書に「幸家八世譲与済」とあって幸若家に伝世したことを伝え賛者朝倉家および桃井家菩提寺一つである心月寺の二世海〓梵覚であるところから、これを幸若家の祖先画像とすることは認められよう。賛文の内容も像主が芸能堪能であったことをたたえたものであり、衣装文様も笹鶴亀で、芸能者にふさわしいものである
 いくつかある桃井氏系図において直詮は、安眞とも安直とも書かれ没年文明二年(一四七〇)あるいは文明十二年(一四八〇)とあり、享年六十一歳、六十六歳、七十八歳諸説あって定まっていないところから、像主の名や没年享年正しく伝えられていなかったものと思われるそれゆえ桃井直詮実在すら否定する意見もあるが、『康富記』の宝徳二年(一四五〇)二月十八日条に「越前田中幸大夫室町殿久世舞々之云々」とある幸若大夫は、名前こそ明らかにされていないものの、桃井氏本拠地である越前田中明示されているところから、この像主のことと考えてよいようである。
 本図描かれ時期明らかでないが、『心月過去帳によれば賛者の海〓梵覚は永正十三年(一五一六)に没しており、この年を降ることはない。一方桃井氏系図一様に本図土佐光信によって描かれたことを伝えているが、確かに文亀元年一五〇一)の年記がある土佐光信筆、三条西実隆像と描法に近いものがあり、その伝承は認められよう。土佐光信永正三年一五〇六)に朝倉貞景のために「京中屏風」を描いていることを考えると、本図のおよその製作時期一五〇〇年前後頃としてよいようである。
 室町期肖像画すぐれた作品として、また描かれることが少ない、芸能者風貌伝え作品として注目される



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