純粋資本主義への批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/21 05:04 UTC 版)
「世界資本主義論」の記事における「純粋資本主義への批判」の解説
世界資本主義論では、宇野弘蔵の主張するイデオロギーと社会科学の分離、歴史と論理の区別、経済学を原理論、段階論、現状分析という三段階に区分する方法を一旦は受け入れながら、原理論を一国が経済的に自律する純粋の資本主義とする宇野の主張を批判した。外国貿易を捨象した一国の自律した経済を想定することは観念的に過ぎるという批判である。結果として、世界資本主義論では、歴史と論理の区分、三段階論について宇野理論とは異なる立場をとるようになった。 世界資本主義論の成立にあたり、対立するものとして取り上げられたのが宇野弘蔵およびその系列の人たちの原理論は「純粋資本主義」を対象として研究するという規定であった。 宇野弘蔵の原理論の考え方は、マルクスの「『資本論』では、資本主義の発展は一社会を益々純粋に資本主義化するものとされていた」(宇野『経済原論』岩波全書、p.10)という判断に基づく。イギリスにおいて資本主義が純粋に成立する傾向を持っていたことが、『資本論』や先行する古典派経済学の成立根拠であり、その傾向を方法論的に模写することにより、『資本論』の原理論は成立したが、それはなおさまざまな不純な論理を内包していた。それを論理的に純化したものが理念としての原理論であり、宇野の原理論はその到達点であるというのが、宇野弘蔵自身およびその後継者達の理解であった。 「世界資本主義」論は、宇野学派の「純粋資本主義」論に疑問を提起するところから始まった。純粋資本主義論の一国において閉じた「資本主義」という観念に対し、世界資本主義論は、資本主義の成立期から、資本主義はつねにその外部をもち続けたという観点から、抽象的・理念的な(一国)純粋資本主義を(論理的)研究対象とする考えを疑問とし、原理論においても世界資本主義を対象としなければならないと主張した。このため、「純粋資本主義論」批判が世界資本主義論の出発点となった。 このような成立経緯から明白なように、純粋資本主義論と世界資本主義論とは、理論対象としての資本主義をどう措定するかに関する対立から始まったため、この点については正反対ともいえる理解の違いがあるが、その他の点では宇野経済学、とくにその三段階論(原理論、段階論、現状分析という区分の設定等)とほぼ同一の方法論を取っている。
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