純粋持続と真の時間
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/29 16:26 UTC 版)
たとえば、音楽の旋律にゆだねた意識内容は、それを逆向きにしたり、こま切れにしたりすることはできない。このように概念や言葉から離れて内省に専念すると、そこに意識の直接与件として、ひとつの流れを感じる。その流れは、計量不可能性、不可逆性、連続性、異種混交性を特徴としており、止めようなき自発、能動によるものである。これをベルクソンは「純粋持続」と呼んだ。 この純粋持続は、空間的に表現できるものではない。というのも、空間化とは数学的な抽象であり、測定可能、可逆的、均質的、受動的なものとなって、それはもはや流れの連続ではなく、点の継起となってしまうからだ。したがって、古典物理学の(線形的)時間は、真の時間ではない。したがって、真の実在認識は、(もちろんカントのいう感性的直観や悟性によってではなく)超知性的な直観によって可能となる。
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