紅富士【ベニフジ】(草花類)
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登録番号 | 第11958号 |
登録年月日 | 2004年 3月 15日 | |
農林水産植物の種類 | はす | |
登録品種の名称及びその読み | 紅富士 よみ:ベニフジ |
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品種登録の有効期限 | 20 年 | |
育成者権の消滅日 | ||
品種登録者の名称 | 榎本輝彦 | |
品種登録者の住所 | 茨城県土浦市手野町2994番地の3 | |
登録品種の育成をした者の氏名 | 榎本輝彦 | |
登録品種の植物体の特性の概要 | ||
この品種は、「寿星桃」の自然交雑実生の中から選抜、育成されたものであり、花はやや大型、花弁は白の地色にアントシアニンが全面に濃く分布し、開花の早晩が中の観賞用のはすである。葉の大きさは50~69㎝、葉の凹み及び葉縁の波は中、葉柄長は50~99㎝、とげは少である。花の大きさはやや大、花弁の地色は白、アントシアニンの有無は有、濃淡は濃、分布は全面、花弁の形は広、先端の形は丸、ねじれは無、完全花弁数は25枚以上、不完全花弁数は少、雄ずいの数は200~399、雌ずいの形は正常、花たく上面の形は円、開花の早晩は中である。「ミセススローカム」と比較して、花弁のアントシアニンが濃いこと、分布が全面であること等で、「誠蓮」と比較して、葉柄のとげが少ないこと、不完全花弁があること等で区別性が認められる。 | ||
登録品種の育成の経過の概要 | ||
この品種は、平成10年に育成者のほ場(茨城県土浦市)において、中華人民共和国から導入した「寿星桃」の自然交雑種子をは種し、11年にその実生の中から選抜、以後、増殖を行いながら特性の調査を継続し、13年にその特性が安定していることを確認して育成を完了したものである。 |
赤富士
(紅富士 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/05 08:57 UTC 版)

通称「赤富士」
赤富士(あかふじ)とは、普段は青っぽく見える富士山が、主に夏の終わり頃から秋の始まりの頃にかけての早朝に、雲や霧と朝陽との関係から富士山が赤く染まって見える現象をいう[1]。
画題
画題としての赤富士は、江戸時代後期から取り上げられており、明和8年(1771年)には文人画家の鈴木芙蓉が『赤富士に昇竜龍図』を描いている。文政4年(1821年)には野呂介石が『紅玉芙蓉峰図』において赤富士を描いている[2][3]。
浮世絵師・葛飾北斎は、天保2年(1831年)に『富嶽三十六景』の1図として、「凱風快晴」と題する赤富士を描いている。
明治以降も、林武・横山操・片岡球子・絹谷幸二らによって、赤富士が描かれている。
季語
赤富士(あかふじ)は、夏の季語である。分類は地理[4][5][1][注釈 2]。
故意に発生させる構想
第二次世界大戦中の1945年、アメリカ軍OSSは、ある科学者の提案で日本人の士気を削ぐために富士山をペンキで赤く染める作戦を計画、しかし富士山が想定より大きく表面積からしてペンキが約12万トン、B29が約3万機、マリアナ諸島から日本までのガソリン代に一機約200万円、総額約600億円がかかるとの計算されたことで非現実的だとして頓挫した[6]。バラエティ番組「トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜」でこの作戦が取り上げられた際に「富士山を赤く染められるのは今も昔も夕日だけだった」と形容されている[6]。
脚注
注釈
出典
参考文献
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