米空母機による第二次ラバウル空襲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 18:00 UTC 版)
「ろ号作戦」の記事における「米空母機による第二次ラバウル空襲」の解説
詳細は「ラバウル空襲#11月11日の空襲」を参照 この日の朝、ラバウルは再び米空母艦載機の空襲を受けた。これは先のシャーマン隊に加え、ハルゼーの強い要請により増援された空母エセックス、バンカーヒル、インディペンデンスを基幹とする50.3任務部隊(モンゴメリー隊)の艦載機によるものだった。二つの機動部隊はこの日の朝ブーゲンビル島をはさんで南北に分かれ、シャーマン隊はラバウルの南東225浬(グリーン諸島付近)から、モンゴメリー隊は、ラバウルの南東160浬(ムッピナ岬の西北西60浬)から攻撃隊を発進させた。またこれに合わせてソロモン航空部隊もラバウル空襲に向かうこととなった(ソロモン航空軍のラバウル空襲はこれが初めてであった)。攻撃の順序はシャーマン隊、モンゴメリー隊、ソロモン航空部隊をはじめとする基地航空部隊とされた。日本軍は10日夜以来、ムッピナ岬西方海域に輸送船団の水偵による発見報告が相次ぎ、翌11日の索敵は厳密に行われた、その結果、4時45分偵察の彗星がムッピナ岬の南西沖に空母3隻からなる敵艦隊が西行しているのを発見、さらに陸偵は6時5分、モノ島の南方に「巡洋艦三隻、駆逐艦五隻東進」と報告した。連合艦隊の指示した索敵範囲にラバウル東方海域がなかったため、5日に撃破したと信じられていたシャーマン隊が健在であることを日本側はこの時点でも確認することができなかった。しかしこの日ラバウルに対する第一撃目をかけるはずであったシャーマン隊の艦載機は、深い靄がかかった天候の中を発艦したものの、結局スコールに妨げられ攻撃隊は母艦へ帰投した。そのためブーゲンビル島南方より発進したモンゴメリー隊の185機の艦載機のみラバウルへの侵入に成功、シンプソン湾に達した。ラバウルの空襲は7時頃始まり、機動航空部隊の零戦39機、基地航空部隊の68機が邀撃にあがった。まず空母艦載機の戦闘機70機、艦爆および艦攻60機が来襲し、続いてB-24、PB2Y、P-38計70機がラバウルを襲った。この迎撃戦で日本軍は零戦11機を失った。また駆逐艦涼波は被雷の末沈没、長波も被弾し航行不能となった。
※この「米空母機による第二次ラバウル空襲」の解説は、「ろ号作戦」の解説の一部です。
「米空母機による第二次ラバウル空襲」を含む「ろ号作戦」の記事については、「ろ号作戦」の概要を参照ください。
- 米空母機による第二次ラバウル空襲のページへのリンク