米第17歩兵連隊の反撃
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「ポークチョップヒルの戦い」の記事における「米第17歩兵連隊の反撃」の解説
カーン大佐は、第17歩兵連隊のF中隊(中隊長:モンロー・D・キング大尉)を前線に投入し、中隊は2130時に激しい砲撃の中、丘を登り始め、2200時には頂上の塹壕に達したが、この間、19名が戦死した。2300時にカーンは第17連隊E中隊(中隊長:ゴーマン・C・スミス中尉)に対して、スミス大尉のF中隊の増援を命じた。F中隊は激しい砲撃を避けるために、丘の右翼側を回り込むように前進したため、中国志願軍と正面から向き合う形になってしまった。第31連隊K中隊は20時間にも渡る激しい戦いの末、元々135名いた中隊員は18名の戦死を含む125名もの死傷者を出した。残った隊員のうち7名が、深夜(4月18日未明)に、さらなる死傷者を出すことなく丘を降りた。残りの兵士はL中隊の生き残りと共に増援の部隊に戦況と陣地の状況を引き継ぐために丘に留まった。 4月18日未明、0130時に中国志願軍第201連隊は再び攻撃を開始した。F中隊の陣地に対し大隊規模の攻撃を仕掛けため、中隊は激しい損害を受け陣地は崩壊間際に追い詰められた。このとき、第17連隊E中隊が中国志願軍の側面を突く奇襲攻撃を仕掛けたことで、中国軍は浮き足立ち、攻撃は尻すぼみとなった。中国第141師団はこのあと、0320時と0420時にも中隊規模の攻撃を仕掛けたが、どちらも失敗に終わり、中国軍は元の陣地へと戻った。 4月18日の夜明け頃、第2大隊所属の2個中隊への増援として、第1大隊から追加で1個歩兵中隊(第17連隊A中隊)が送られた。3個中隊は協同でこの日の日中の大半を丘の中国志願軍の掃討に費やし、丘の確保を固めた。戦闘は、この日の午後で終わった。 この戦闘で国連軍の砲兵部隊は、77,000発の支援砲撃を行い、このうちポークチョップヒルには、4月18日だけで40,000発の砲撃を行った。中国軍の砲撃量もほぼ同等と推察される。
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