米第31歩兵連隊の反撃
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「ポークチョップヒルの戦い」の記事における「米第31歩兵連隊の反撃」の解説
戦線後方で予備部隊であった米31連隊のK中隊(中隊長:ジョセフ・G・クレモンス中尉)とL中隊(中隊長:フォレスト・J・クリテンドン中尉)は反撃を命じられ、攻撃開始時間を4月17日0430時とされた。夜明けまでに丘の頂上部にある主塹壕まで到達したが、両部隊の死傷率は50%に達しL中隊の半数は隣接する200高地の前哨陣地から前進できない状況となった。そのため、この突撃の戦術指揮官のクレモンス中尉は増援部隊の要請を行った。すぐに戦力消耗のため第31連隊の指揮下に入っていた米第17歩兵連隊のG中隊(指揮官のウォルター・B・ラッセルJr中尉は、クレモンス中尉の義理の兄弟)が前線に投入され、午前8時30分にはK中隊と連携した戦闘を開始した。しかし、前線の3中隊には中国志願軍の砲弾が絶え間なく降り注いだため、動きがとれず塹壕に釘付けとなってしまった。 この間、司令部と前線部隊の情報伝達の混乱により、3個中隊のうち、他の2個中隊の損害を把握しないまま、15:00時に激しい損害を受けていたラッセルのG中隊のみに撤退命令を出してしまった。実際には、この時点で残りの2個中隊に関しても、二つの部隊を併せて25名の生存者しかいなかった。 このとき、師団長のトルドー少将はカーン大佐に第17連隊の第1大隊と第2大隊の戦術指揮を任せると共に、255高地上の新たな中隊を増援として送り込むように命じた。
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