第2師団の抽出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 04:35 UTC 版)
ところで8月下旬、インパール作戦の失敗に伴う事後処理のためにビルマに飛来した大本営参謀の瀬島龍三少佐は、各兵団司令部との連絡と現地視察を踏まえ、方面軍の作戦を南部ビルマの防衛に転換させる必要を感じた。瀬島少佐は、大本営参謀本部作戦課の先輩である辻政信大佐にも意見を求めたが、辻も同意見だった。このやり取りを機に第33軍司令部、特に辻大佐は、断作戦の終結について内々に検討を重ね、以下の結論に至った。 この際南方軍としては、断固として各方面から兵力を抽出し、一兵でも多く国軍の主決戦に戦力を集中すべきである。 第33軍もまた最小限の兵力で現任務を完遂し、なしうる限りの兵力を方面軍に返上すべきものと信ずる。 幸いにも、敵の進撃は予想以上に遅れている。遠征軍は龍陵会戦の痛手が大きく、目下全軍整備訓練中の模様であり、遠征軍に呼応すべき米支軍もミイトキーナ周辺から南進の気配を見せない。 よってこの際、第2師団を返上しても、本年末ごろまで印支連絡路の遮断を継続する軍の任務は達成可能である。 以上の見地から、第33軍は10月5日、方面軍に対して、第2師団を他方面に転用しても差し支えない旨の意見具申を行った。同様に第2師団の南部ビルマ抽出を検討していた方面軍は、第33軍の自主的な申し出に感謝し、師団主力の南部ビルマ転進命令を発した。ただし、同師団のバーモ守備隊(捜索第2連隊、歩兵第16連隊第2大隊、砲兵1中隊、工兵1小隊、野戦病院の一部)は軍直轄としてそのまま残されたほか、第33軍方面の戦況を憂慮し、師団の転進途中で一刈連隊をメイミョウに留め、第33軍の直轄とした。
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