第15代住友吉左衛門を襲名とは? わかりやすく解説

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第15代住友吉左衛門を襲名

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 13:43 UTC 版)

住友友純」の記事における「第15代住友吉左衛門を襲名」の解説

1893年明治26年4月住友15世をつぎ、隆麿を改め住友吉左衛門友純と称した。のちに春翠と号した1893年明治26年4月28日相続の式をあげ、以来家業継承して別子銅山鉱業経営し神戸市貿易をなし、また再製茶及び樟脳製造業行い滋賀県坂田郡醒ヵ井村において生糸業を営む、広瀬宰平総理人としてあり、実際経営に当たるが、友純は別子銅山巡視し各社視察し庄司炭坑買収した。 しかし、友純入籍の後、困難な事態発生する別子銅山技師金矢某の事件があり、1886年明治19年金矢支配人広瀬坦は罰せられ、山根製錬所監督大島供清も罰せられた。1892年明治25年2月別子支配人広瀬坦は辞し、宰平の甥久保盛明がかわる。しかし大島供清は宰平を失脚させるため、郷里尾道帰り5万円の借用を願う。忠隈炭坑買収に宰平の非行ありとし、供清は退身勧告をなし、宰平に拒絶され、ついに宰平の弾劾上申書家長提出する伊庭貞剛単身別子山上り人々鎮めるべく支配人久保盛明にかわる。 さらに新居浜煙害問題があり、宰平弾劾重なる。友純は大島供清を須磨別邸引見した。供清は宰平退身の上申書をもって友純の前に出たが友純の説論をうけている。住友家にとり総理事あるいは最高幹部人事は重大であり、まして宰平は大黒柱存在であった。しかし友純は西園寺公望力を借りて宰平の辞表受け取り同時に大島をも罷免して、喧嘩両成敗の形をもって取り収める。あとは、宰平の甥伊庭貞剛につがすということで、おそらく宰平を納得させたものである

※この「第15代住友吉左衛門を襲名」の解説は、「住友友純」の解説の一部です。
「第15代住友吉左衛門を襲名」を含む「住友友純」の記事については、「住友友純」の概要を参照ください。

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