第1次NOW
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/06 04:51 UTC 版)
「ネットワーク・オブ・レスリング」の記事における「第1次NOW」の解説
1990年に設立されたSWSにおいて、大相撲形式の部屋別制による選手編成の問題で意見の食い違いが起き解散したことを受けて、1992年、同団体の「道場・檄」(ケンドー・ナガサキなど)と「パライストラ」(ジョージ高野&高野俊二など)に所属していた選手を中心に設立し、代表に桜田(ケンドー・ナガサキ)が就任。8月9日、後楽園ホールでプレ旗揚げ戦を開催。しかし10月26日の旗揚げ戦前に高野兄弟が退団して(後にPWCを設立)苦境に立たされる。 その後、維新力をエースとして、上田馬之助、栗栖正伸、タイガー・ジェット・シンらとの抗争をメインに興行を開催(維新力と上田は遺恨決着のため武器の使用も認められるという「AGAマッチ」なる試合形式で対戦。上田が出刃包丁を凶器として持参したことから「出刃包丁マッチ」とも呼ばれた)。それでも順調な経営とは行かず、1993年1月、所属選手の直井敏光が福井県の興行先からリング輸送中に交通事故で死亡するなど苦境が続き、やがて活動停止となった。伸び悩みの要因として、当時の維新力に思ったほどのネームバリューがなかったことと、また直井の追悼興行を契機にFMWとの業務提携を計画していたが、上田や鶴見五郎らの反対で実現しなかったことや、ナガサキが全国を巡業する従来のプロレス興行に拘るも、観客動員に苦戦し収益よりも出費の方が大きくなってしまったことも影響している。
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