第1次UWF時代
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1984年4月、アントン・ハイセルを巡る新日本の内紛から分裂した第1次UWFの旗揚げメンバーに名を連ねた。しかし、外国人レスラーのブッキング窓口を巡るトラブルのため、ラッシャー木村と共に在籍4ヶ月で退団となった。「新間寿への義理で協力していただけ」とも言われている。なお、剛はブッカーとしてレオ・バーク、フレンチ・マーテル、ザ・UFOなどを来日させていた。 少ない試合数ながらも第1次UWFでは無敗であった。ただし、シングル戦はなくすべてラッシャー木村とのタッグである。なお、佐山聡(当時スーパータイガー)から入場テーマ曲『Eye of the Tiger』を譲られている。
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