第1次および第2次編制
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「第4装甲擲弾兵旅団 (ドイツ連邦陸軍)」の記事における「第1次および第2次編制」の解説
1958年、旅団の全身部隊であるC2戦闘群が編成される。当初の隷下部隊は第41装甲擲弾兵大隊、第42装甲擲弾兵大隊および第43装甲擲弾兵大隊から成っていた。初代指揮官はドイツ連邦軍内における指導構想を確立した第一人者であったヴォルフ・グラーフ・ボーディシン陸軍准将(de:Wolf Graf Baudissin)であった。 陸軍第2次編制により1959年に第4装甲擲弾兵旅団に改編・改称される。旅団隷下部隊は以下のとおりであった。 第41装甲擲弾兵大隊(自動車化) 第42装甲擲弾兵大隊(自動車化) 第43装甲擲弾兵大隊(機械化) 第40補給大隊 第40装甲工兵中隊 第40駆逐戦車中隊 第40装甲偵察中隊 第45砲兵大隊は1961年に隷下におさまる。1962年には第44戦車大隊が新編されバート・アーロルゼンのメンゲリングハウゼンに駐屯した。
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第1次および第2次編制
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「第25空挺旅団 (ドイツ連邦陸軍)」の記事における「第1次および第2次編制」の解説
1957年5月にエスリンゲンにてA9空挺戦闘群が編成され、1958年9月にジークマリンゲンへ移駐する。1959年に第25降下猟兵旅団に改編され、第1空挺師団隷下におかれる。陸軍第1次編制の配備概念では第25降下猟兵旅団と第26降下猟兵旅団は空間的に近接した配備を意味しており、1961年6月に旅団司令部をカルフに移駐しのちに隷下部隊はシュヴァルツヴァルトのナーゴルトに移駐する。更に第255空挺砲兵大隊が後続し、1959年3月から1961年10月までグローセンクシュティンゲンに駐屯した。その後カルフに移駐し、そして1970年4月に第81山岳砲兵大隊に改編され旅団隷下から外れる。
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