第二期:中村弥左衛門時代 明治34年~大正14年とは? わかりやすく解説

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第二期:中村弥左衛門時代 明治34年(1901)~大正14年(1925)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 01:55 UTC 版)

便利堂」の記事における「第二期中村弥左衛門時代 明治34年1901)~大正14年1925)」の解説

二郎から事業受け継いだ弥左衛門は、現在に至る便利堂基礎整えたと言える。まず第一には、明治38年(1905)にコロタイプ印刷所を開設したことである。コロタイプ明治21年小川一眞によって日本もたらされ精緻な印刷技法である。現在も刊行の続く美術雑誌國華』の図版印刷採用され高品質美しコロタイプは、絵葉書美術図書口絵などに広く利用された。弥左衛門は、コロタイプ印刷所を開設するにあたり光村印刷所から技術者である内藤雄太郎を招聘して稼働始める。第二は、絵葉書企画制作である。日本では明治34年1901)に私製はがき解禁されたのを機にヨーロッパで絵葉書ブーム伝来明治38年(1905)に最高潮となるのだが、便利堂発行した最初絵葉書明治35年(1902)の『帰雁来燕』である。明治38年(1905)からは多様な絵葉書企画発行し明治40年(1907)には書店絵葉書店(「便利堂書店」から「便利堂絵葉書店」)へと変えて絵葉書ブームの中でその知名度高めた。その当時の様子は、大阪毎日新聞記者である大江天の述懐をみると「便利堂中村二郎氏が未練気もなくしにせの古い本屋をやめて絵葉書になった私たち毎日のように店頭押しかけ月給袋の底をハタいたものである。ハタ足りない時は無論借金である。」(写真太平記)と人気店であったことが分かる。そして第三には、他所から絵葉書図録制作受注するビジネス確立させたことである。絵葉書受注制作第一号は、今日記録正確に判明しているものとして清水寺であり、明治40年(1907)のことである。そしてそれに続き法隆寺萬福寺からの注文受けて制作しており、また博物館図録としては、大正5年1916)に京都帝室博物館(現京都国立博物館)から『古美術図録・全四冊』の注文得ている。絵葉書ブーム下火となると共に、古美術撮影印刷という今日にもつながるメインストリーム始まったことがわかる。

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