第三世界の擲弾兵達
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/24 21:04 UTC 版)
第二次世界大戦の終結で、世界中に植民地を有した欧州諸国が疲弊し、植民地における民族自決・独立の気運が高まると、これを抑えつけようとする宗主国軍と独立を目指す現地民の間での戦闘が各地で勃発する。 近代的な軍隊を有した経験に乏しい現地民達の担った武装闘争では、近代的な工廠でなくても簡単に自製できる手榴弾と、兵士の高いモチベーションと肉体が即ち武器となり、効果の高い擲弾戦術が主な戦闘手段として普及した。 特に、植民地解放闘争と並行して勢力を拡張した共産主義勢力は、その優れた組織力と統率性によって各地の武装闘争で中核を担い、ソ連・中国といった共産主義国家がこれを軍事的に援助し、宗主国を支援する米国との間での代理戦争の様相を呈した。 このため、ドイツが産んだパンツァーファウストから発展したRPG-7と、MP43から発展したAK(カラシニコフ自動小銃)を基本装備セットとするソ連型装備が、共産圏からの援助を受けた第三世界諸国の装備として広まった。 1970年代からソ連型装備を国産化していた北朝鮮が外貨獲得のために盛んに行なっていた兵器輸出や、1980年代から中国が始めたイデオロギーにとらわれない独自の兵器輸出によって、これを盛んに購入した中近東の諸国や米国の援助によって、こうしたソ連型装備が同時期に勃興したイスラム原理主義諸勢力の主装備となった。
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