第一次チンディットとは? わかりやすく解説

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第一次チンディット(ロングクロス作戦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 02:15 UTC 版)

ビルマの戦い」の記事における「第一次チンディット(ロングクロス作戦)」の解説

詳細は「チンディット」を参照 第2の作戦オード・ウィンゲート准将発案よるものだった。ウィンゲートは非正規部隊指揮した経験から、小部隊が航空機による補給を受けつつ敵地奥深く進入する長距離挺進作戦構想していた。ウィンゲートはこの作戦のために第77インド旅団編成し、「チンディット」の通称与えた。「チンディット」とはビルマ寺院守護する神獣「チンテ」に由来する名前である。 1943年2月8日「ロングクロス作戦」が開始されチンディット部隊3,200名は7個縦隊分かれインパール方面からビルマ北部進入した。各縦隊アラカン山脈越えチンドウィン川渡り情報収集しつつ鉄道橋梁爆破一部はさらにイラワジ川渡河中国国境近くまで進出した日本軍第18師団中心に各地から部隊をかき集めて掃討試みたが、チンディット部隊優勢な敵と遭遇すれば分散して後退するためつかみどころがなかった。だが小部隊に分散する航空機による補給難しくなる3月24日、ウィンゲートは各縦隊後退命じた。 4か月間の作戦行動の末、インドまで帰還したチンディット部隊将兵は2,182名だった。作戦戦略的にはさして意味はなかったが、連合軍部隊航空機による補給を受けながらジャングル長期間行動が可能であることを証明したイギリスへ戻ったウィンゲートは英雄となったチャーチルアジアで傷ついたイギリス軍イメージ回復してくれる人物であると賞賛し、8月ケベック会談にも随行させた。 日本軍は、アラカン山脈チンドウィン川防壁とするという構想覆され衝撃受けた。特に掃討作戦奔走させられ第18師団牟田口廉也中将は、イギリス軍拠点インパール攻略せねばビルマ防衛成り立たないという認識を持つに至りインパール作戦構想し始める。

※この「第一次チンディット(ロングクロス作戦)」の解説は、「ビルマの戦い」の解説の一部です。
「第一次チンディット(ロングクロス作戦)」を含む「ビルマの戦い」の記事については、「ビルマの戦い」の概要を参照ください。

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