第一次チンディット(ロングクロス作戦)
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「ビルマの戦い」の記事における「第一次チンディット(ロングクロス作戦)」の解説
詳細は「チンディット」を参照 第2の作戦はオード・ウィンゲート准将の発案によるものだった。ウィンゲートは非正規部隊を指揮した経験から、小部隊が航空機による補給を受けつつ敵地奥深く進入する長距離挺進作戦を構想していた。ウィンゲートはこの作戦のために第77インド旅団を編成し、「チンディット」の通称を与えた。「チンディット」とはビルマの寺院を守護する神獣「チンテ」に由来する名前である。 1943年2月8日「ロングクロス作戦」が開始され、チンディット部隊3,200名は7個縦隊に分かれインパール方面からビルマ北部へ進入した。各縦隊はアラカン山脈を越え、チンドウィン川を渡り、情報を収集しつつ鉄道や橋梁を爆破、一部はさらにイラワジ川を渡河し中国国境近くまで進出した。日本軍は第18師団を中心に各地から部隊をかき集めて掃討を試みたが、チンディット部隊は優勢な敵と遭遇すれば分散して後退するためつかみどころがなかった。だが小部隊に分散すると航空機による補給も難しくなる。3月24日、ウィンゲートは各縦隊に後退を命じた。 4か月間の作戦行動の末、インドまで帰還したチンディット部隊の将兵は2,182名だった。作戦は戦略的にはさして意味はなかったが、連合軍の部隊が航空機による補給を受けながらジャングルで長期間行動が可能であることを証明した。イギリスへ戻ったウィンゲートは英雄となった。チャーチルはアジアで傷ついたイギリス軍のイメージを回復してくれる人物であると賞賛し、8月のケベック会談にも随行させた。 日本軍は、アラカン山脈とチンドウィン川を防壁とするという構想が覆され衝撃を受けた。特に掃討作戦に奔走させられた第18師団長牟田口廉也中将は、イギリス軍の拠点インパールを攻略せねばビルマの防衛は成り立たないという認識を持つに至り、インパール作戦を構想し始める。
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