競技引退・引退後
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「イリーナ・スルツカヤ」の記事における「競技引退・引退後」の解説
2006年11月6日、現役引退を表明したとロイター通信が報じた。なおその後引退は誤報であったと、ロシアのニュースサイトは謝罪コメントを掲載。スルツカヤ自身もその直後否定声明を出し、さらにエージェントのアリ・ザカリアン、ロシアスケート連盟現会長のピセーエフらも否定していた。しかし、トリノ五輪以降は世界選手権を始め、フィギュアスケート競技会には殆ど登場していない。 2007年1月4日に長野のビッグハットで開催された"Japan Super Challenge"にゲストとして登場しEXプログラムを披露。 同年4月に初めての妊娠により、当面の競技・ショー出演休止を発表。2007年11月15日にロシアの病院で第一子となる男児アルチョムを、2,300グラムと軽量ながら、帝王切開を行い出産。スルツカヤは出産後も復帰できるように体調管理をしていたが、子育て中に「競技会へ自分を駆り立てるものが無くなった」と語り、「出産した今、目標を定めてはいない、競技会へ戻る理由がない。だってほとんど全てのタイトルを手中に収めたから」とも語った。 出産後はショービジネスのキャリアを始め、同年12月からロシアのアイスショーに出演している。2008年には国際ユダヤ人スポーツの殿堂入り。2010年10月に第二子となる女児を出産した。2011年にはバンクーバーオリンピック金メダリストのキム・ヨナ主催のアイスショーに出演。2012年10月5日に行われた第1回メダルウィナーズ・オープンに出場し、6人中3位に入賞した。2014年ソチオリンピックの親善大使に選ばれ、フィギュアスケート会場に姿を現した。2015年1月第2回メダルウィナーズ・オープンに出場し6人中5位。
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