竜州攻略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 04:38 UTC 版)
海軍機の偵察によれば仏印国境から竜州間のトラックの往来が激しくなっており、日本軍が南寧を占領したことで、竜州に集積された物資が仏印へ送り返されていると観測された。この「敵性物資」を搬出前に取り押さえて獲得するため、11月17日、及川支隊(歩兵第11連隊基幹)が竜州方面へ派遣された。(この日、崑崙関での戦闘が始まったが、日本軍の戦力は竜州派遣等で分散していた。)及川支隊は連日不休の行軍と、破壊された道路の工事を繰り返し、21日に竜州と鎮南関を占領した。 及川支隊が押収した鹵獲品は、自動車約100両、ガソリン及び重油220万リットル、電気銅・鉄棒各2,000本、鉛180トン、錫6.8トン、タングステン約1トン、小銃395丁、機関銃71挺などであった。しかし、支隊は急遽南寧へ帰還するよう命令を受けたので、運搬する手段もなく、焼却または湖川投棄の処分をして、24日南寧へ引き返した。 竜州攻略までは特に大きな戦闘は起こらなかったが、反転するころには中国軍の南寧方面への反攻が始まっており、及川支隊主力に先立って反転した伊藤大隊(長:伊藤敏大尉。歩兵第11連隊第3大隊)は途中待ち受けていた中国軍第131師と交戦した。その後伊藤大隊は、海軍機の支援を受けて強行突破し南寧へ帰還した(戦死69人、負傷125人)。竜州作戦の総合戦果は、遺棄死体1,600、捕虜17人、日本軍の損害は、戦死105人、負傷252人だった。
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