南寧作戦
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南寧作戦(なんねいさくせん)とは、日中戦争中の1939年11月15日から12月1日までの間、「援蔣ルート」の遮断を目的として広西省の南寧を攻略した日本軍の作戦である。中国側呼称は桂南会戦[1]。
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- ^ 中国側呼称の「桂南会戦」は南寧作戦から翌年の賓陽作戦までを含めた広西省南部における一連の戦いを指す。
- ^ 仏印(フランス領インドシナ)ルートは、ハイフォン港からハノイを経て雲南省昆明に至る滇越鉄道(雲南鉄道)と、ハノイから分かれて広西省南寧に出る2つの路線からなる。
- ^ 『支那事変陸軍作戦 (3)昭和十六年十二月まで』、44頁。
- ^ 陸軍省は反対の立場をとり、沢田茂参謀次長も消極的だったが、「これが支那事変での最後の作戦」との富永部長の懇願に押されてついに認可した。
- ^ 『支那事変陸軍作戦 (3)昭和十六年十二月まで』、45-48頁。
- ^ 『南寧攻略経過の概要送付の件 (4)』 アジア歴史資料センター Ref.C04121974300、19-26頁。
- ^ 『支那事変陸軍作戦 (3)昭和十六年十二月まで』、51頁。
- ^ 歩兵第21連隊第3大隊(長:森本宅二中佐)
- ^ 確度の高い情報ではなかったこともあり、今村の対応が不適切であったとは断言できない。
- ^ 『支那事変陸軍作戦 (3)昭和十六年十二月まで』、55-56頁。
- ^ 越智、158頁。
- ^ 『支那事変陸軍作戦 (3)昭和十六年十二月まで』、56頁。
- ^ 越智、162頁。
- ^ 『支那事変陸軍作戦 (3)昭和十六年十二月まで』、71頁。
- 1 南寧作戦とは
- 2 南寧作戦の概要
- 3 背景
- 4 南寧攻略後の状況
- 5 参考文献
固有名詞の分類
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