穹窖砲台とは? わかりやすく解説

穹窖砲台(第3・第4砲台)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/24 13:52 UTC 版)

佐田岬砲台」の記事における「穹窖砲台(第3・第4砲台)」の解説

本土決戦睨んで1945年昭和20年2月着工され終戦直前完成した佐田岬灯台直下断崖絶壁彫り込み式の掘込み砲台海上から15mの高さに2つ設けられ三八式十二糎榴弾砲が2門設置された。敵艦夜間照射する設備設置され探照灯設置されレールで山のすそ野をぐるりと移動することが出来た探照灯収納保管する浅い横穴作られた。 佐田岬先の御籠島南側岸壁にも三八式十二糎榴弾砲2門の掘込み砲台設置された。弾薬庫洞穴作られた。これら穹窖砲台の合計4門の榴弾砲豊後水道挟んだ対岸大分県鶴見崎砲台から移されたものであるが、砲身長が1.44mしかなく射程も5.68kmと短い明治時代旧式であった建設作業には周辺住民勤労奉仕隊として導入された。また予科練海軍飛行予科練習生)の12-13歳の学生動員された。配属され兵士新潟県出身の者が多かったという。当時御籠島陸続きではなかったので、比較軽量な物資は岬から鋼線張った索道運搬した榴弾砲収める洞穴ノミによる人力ダイナマイト掘削され崩落防止のために大木組まれた。掘り出され土砂トロッコ運び海に投棄された。洞穴深く掘られた。戦争末期ということもあり作業員支給され食料十分なものではなかった。1945 (昭和20)年6月灯台下の砲台起きた爆発事故では3人の作業員亡くなり、後に灯台北側30mの場所にこの事故の「忠魂碑」が建てられた。また当時21歳見習士官作業中に転落死している。大島掘られ洞穴長さは20mを超える長さとなった

※この「穹窖砲台(第3・第4砲台)」の解説は、「佐田岬砲台」の解説の一部です。
「穹窖砲台(第3・第4砲台)」を含む「佐田岬砲台」の記事については、「佐田岬砲台」の概要を参照ください。

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