種牡馬兼神馬時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 07:13 UTC 版)
引退後は馬主が経営する北海道沙流郡平取町の北島牧場で種牡馬として過ごし、白毛二世の生産に励んだ。白毛以外の毛色で生まれた馬もいたが割愛する。また馬主が神主を務める義経神社で神馬としても活動した。 当時、白毛遺伝子は致死遺伝子であるため誕生は難しいとされていたが、1991年にはアングロアラブ牝馬のウインドアポロツサとの間に生まれたミサワパールが日本初の遺伝による白毛馬で、日本で3番目となる白毛馬であった。母がアングロアラブなのでサラブレッド系種とされた。 1983年には日本で2番目となる白毛馬のカミノホワイトがハクタイユーと同じく突然変異で誕生した。カミノホワイトは牝馬だったことからハクタイユーと交配し、1993年にはミサワボタンという白毛馬が誕生している。日本で4番目の白毛馬であり、両親ともに白毛というのは現在までミサワボタンだけである。 1994年に生まれたミサワパールの全弟ハクホウクンは日本の白毛馬第5号であるが、1997年12月30日に大井競馬場で初勝利を挙げ、これが日本の白毛馬による初勝利となった。ハクホウクンは引退までに大井競馬場で3勝を挙げ、種牡馬となった。2004年にはハクバノデンセツという白毛の産駒が誕生し、親子三代に渡る白毛馬となっている。 1996年にはミサワパール、ハクホウクンの全妹にあたるホワイトワンダーが誕生し、日本で2番目に勝利を挙げた白毛馬となっている。通算2勝はいずれも上山競馬場であった。 2001年には母・ロツチウインドとの間にハクタイヨーが誕生する。ハクタイヨーは競馬には未出走で終わり種牡馬となったが、一度も供用されず2020年に死亡による種牡馬供用停止届が提出されている。ハクタイヨー以降の孫世代で種牡馬として供用はされておらず、父系のサイアーラインは断絶した。また、牝系もハクホウクン産駒のハクホウリリー、ハクバノイデンシが繁殖登録されているが、ハクホウリリーは白毛の牝馬(ダイヤビジューと名付けられている)を出産して以降消息がなく、ハクバノイデンシは3頭(うち2頭は白毛)を出産後、繁殖引退し、馬術馬として活躍している。こちらもひ孫世代以降繁殖登録された形跡がなく、牝系のサイアーラインも絶望的である。 2002年後半ないし2003年初頭ごろ、高齢による体力低下のため神馬を引退。それ以降の消息は不明である。日本軽種馬登録協会に対して2003年4月7日付で死亡を事由とした種牡馬供用停止の届出が提出されているが、必ずしもその日がハクタイユーの死亡日とは限らない。
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