科学テレビ→東京12チャンネル
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「学校放送」の記事における「科学テレビ→東京12チャンネル」の解説
1964年(昭和39年)に開局した関東地区の東京12チャンネルは、免許人となった日本科学技術振興財団が、外郭団体の「科学技術学園」を通じて開局と同時に科学技術学園工業高校を立ち上げ、新部署としてテレビ放送事業本部を設置して、通信制の授業を放送することになり、「科学テレビ」の通称で開局した。 免許の条件もNETの開局時よりさらに厳しいものとなり、科学技術教育番組60%、残りも教養または報道に充てるとし、娯楽番組を編成することは事実上不可能だった。このため、12チャンネルは民放でありながらCMを全く流さず、放送時間も先発他局に比べて圧倒的に短かった。 詳細は「テレビ東京#かつての経緯」および「日本科学技術振興財団」を参照 「科学技術学園高等学校#沿革」も参照 1967年(昭和42年)、免許条件が緩和され、科学テレビでも娯楽番組(20%)の放送ができるようになる。翌1968年(昭和43年)7月1日、科学テレビは制作部門を分離、新たに番組制作を請け負う新会社「東京12チャンネルプロダクション」(現・テレビ東京)が設立される。日本経済新聞社と日本生命グループ、および毎日放送が出資する。日経は創立当初NETにも出資していたが、NET株を朝日新聞に売りその利益を12チャンネルプロへの投資につぎ込んだ。 詳細は「高橋信三#テレビ東京支援と相次ぐ打ち切り事件」を参照 1973年(昭和48年)10月1日、財団からテレビ局の経営を譲られた12チャンネルプロが、「株式会社東京12チャンネル」に社名変更。12チャンネルを教育専門局から一般総合局に転換する政府の方針もあり一般総合局としての免許申請を行う。一方の財団テレビ事業本部は、7月に申請していた科学技術教育専門局の申請を取り下げたため、財団テレビ局は10月31日をもって廃局されている。代わって12チャンネルが11月1日付で総合局の免許が交付され改めて開局。他の民放と遜色ない体制に移行した。科学技術学園の学校放送も1974年4月改編で終了した。
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