科学スキャンダル「ボルティモア事件」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 01:46 UTC 版)
「デビッド・ボルティモア」の記事における「科学スキャンダル「ボルティモア事件」」の解説
1986年、彼はテレザ・イマニシ=カリおよび他4人の共著者とともに免疫学の論文を著した。ところがイマニシ=カリ研究室の研究員の(共著者ではない)マーゴット・オトゥール (Margot O'Toole) がこの論文の実験を再現できず、実験ノートの記録が論文の結果に反すると主張した。彼女は著者たちに再試を要求し、ついにはイマニシ=カリがデータをでっち上げたと非難した。ボルティモアは初め追試を拒否したが、後に3人(イマニシともう1人を除く)とともに追試しその結果論文を取り下げた。その後この研究を助成していた国立衛生研究所(NIH)も調査を開始した。さらに下院議員ジョン・ディンゲルもこの問題を取り上げ、シークレット・サービスの専門家が実験ノートを分析するなど国家的な問題に発展したが、ボルティモアはこれを「学問に対する政治の不当介入」と主張した。 彼は1990年7月からロックフェラー大学に勤めていたが、大学当局から圧力をかけられ、1991年12月に辞任した。 この問題はマスコミでも大々的に取り上げられ、事件に関する書籍も、数学者サージ・ラング(ボルティモアらに批判的)や、科学史家ダニエル・ケブルズ(英語版)(同情的)によるものなど多数出ている。 保健社会福祉省(HHS)の科学公正局(のち研究公正局)は1991年、イマニシ=カリをデータの改竄・捏造の疑いで告発し、またボルティモアをも、オトゥールの追及に対応しなかったとして批判した。1994年、研究公正局は不正があったと認定し、イマニシ=カリに10年間研究助成しないよう勧告した。 ところが1996年になって、HHSの上訴委員会が再調査の上、「不正の証拠は全くなかった」として、すべての処分を取り消した。 以上とは別に2005年10月、かつてボルティモア研究室の博士研究員だったルク・ファン・パライス (Luk van Parijs) は、論文に不正があったとしてMITの准教授職を解任された。彼はボルティモアと連名の特許を出願していたが、ボルティモアはこれについて「一部誤りがあったが、特許自体に問題はない」としている。
※この「科学スキャンダル「ボルティモア事件」」の解説は、「デビッド・ボルティモア」の解説の一部です。
「科学スキャンダル「ボルティモア事件」」を含む「デビッド・ボルティモア」の記事については、「デビッド・ボルティモア」の概要を参照ください。
- 科学スキャンダル「ボルティモア事件」のページへのリンク